ただ夢の中だけ

Feel Like Shit...!!

『カラフル』

『カラフル』

2010年に公開された日本のアニメ映画。

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子供だけでなく大人も楽しめる映画ではないだろうか。内容としては、人間の多面性、思春期の少年の心の成長が描かれている。テーマ、ストーリーは見慣れたもので目新しさは感じなかったが、演出が面白い。

主人公"真"の心の変化が食事のシーンを使って繊細に描かれている。

まず、真が病院から家に帰って家族揃って食事するシーン。ここでは、真が自殺した原因がまだ判明する前であるので母親が作った食事を美味しそうに食べる。

その後、真が自殺した原因が母親の浮気現場を目撃したこと(しかもラブホから男と出てくるところに遭遇)だったことが分かり、母親が作った料理に一切、手をつけなくなる。それから、母親の料理を真が拒絶するシーンが一度でなく何度も繰り返し出てくることになるのだが、母親がハンバーグを作った際には、ハンバーグを作る母親の手つきが情事とリンクして「吐き気がする」と言い放つ。

学校では好意を寄せている女の子から何度か駄菓子をもらうシーンがあるが、反対に鬱陶しく思っている女の子が家にお見舞いに来たシーンではお菓子を持ってきてくれたにも関わらず、お菓子には手をつけず乱暴に追い返す。ちなみに、好意を寄せていた女の子は援交をしており、その現場に遭遇して以降駄菓子をもらうシーンは無かった(記憶が曖昧なのであったかも...)

そんな最悪な状況で真に初めての友達ができる。彼とコンビニに立ち寄った際、受験やべ~なとか話ながらフライドチキンと肉まんを交換して食べ、真は「あ~うまい!」と漏らす。そして、「俺もお前と同じ高校受けようかな...」と言う。

次に、父親と釣りに行くシーンでは、母親が作ってくれた弁当に手をつけずお菓子を食べている真に対して父親は少しだけでもいいから食べないか?と聞く。父親は、どうやら不倫を知っていたようだ。それでも、母親だって辛いこともあるんだと真を諭す。結局、真は弁当を食べることはなかったが、その帰りに父親とともにラーメンを食べる。そこで、腹が減っていた真は父親のラーメンもほとんどもらうのだが、初めての友達と同様に父親も信頼できるようになってきたことが伺える。

そして最後の食事シーンは、鍋である。鍋は一人で食べるものではなく、必然的に誰かと囲んで食べるもので、食事と心の交流を描いてきた今作ではラストに最もふさわしいと言えるだろう。鍋に入れる食材は色とりどりで、その一つ一つの食材が違ったいい味を出して奇跡的に美味しくなる。鍋を囲んで家族は、本音を言い合い、少しだが確実に溝を埋めることができた。ここで、ついに真は母親が作った食事を涙ながらに食べるのだ。

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キャラクターも個性的かつ丁寧に描かれているので感情移入できやすい。どの登場人物も各々の考えがあって行動しているのが分かる。背景の人物がヌルヌル動いたり、実写も交えたりと実験的な描写がみられるのも面白い。

食事だけを取り上げたが、その他にもちょっとした行動にその人物の心情が表れている場面が多く非常にクオリティの高いアニメーション映画である。

 

 

 

 

『イントゥ・ザ・ワイルド』

イントゥ・ザ・ワイルド

2007年のアメリカ映画。監督・脚本はショーン・ペン。主演はエミール・ハーシュ

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どこか『グッド・ウィル・ハンティング』を思い起こさせるストーリーだった。心に傷を負った青年が放浪の旅で出会った人々との触れ合いの中で少しずつ心を開いていく。ただ、この映画は実話を元に制作されており、"バッドエンド"で幕を閉じる。

十代、二十代前半の心というのは非常にナイーブだ。これまで気づかなかった、気づいていたが目を逸らし続けていた現実に否応なくぶつかり押しつぶされそうになる。そういった時、若者は決まって迫ってくる現実から逃げようとする。それが、この映画の主人公のように旅に出ることであったり、または家に引き籠ることで現れるのだろう。しかし、結局のところそれらは単なる時間稼ぎにしか過ぎず、いつかは現実に正面からぶち当たって折り合いをつけなければならない。

主人公のクリスは、世界の真理、本当の幸せは何かを見つけるために旅に出たのか?きっとそれは自分自身を納得させるための口実で、本当は受け入れがたい現実から逃げたかっただけなのではないだろうか。

当てもなく逃げ続ける先々で彼は多くの印象的な人々に出会う。そして、閉ざされていた彼の心は動揺する。人間を嫌悪していたはずなのに人恋しくなっていくのだ。だが、ストイックな彼は、そんな自分自身を許すことができない。だから逃げるように更に人のいない場所へと移動していく。そうして辿り着いたのがアラスカであった。

ここでもまた彼は自分一人だけでは生きていくことさえできないことを知る。衰弱していく中で、旅の中で出会った人々、そして家族のことを思い出す。

「僕がもし戻ったならみんな笑顔で迎えてくれるだろうか?」

アラスカの地でようやく彼は、自分を深く傷つけた両親を、そして周囲の人間を受け入れる自分自身を許すことができたのだ。

しかし、先述したように彼の物語は"バッドエンド"で終わる。

"バッドエンド"というのは観客側の僕らからの視点で、クリスにとっては必ずしも"バッドエンド"ではなかったかもしれないが...。

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余談ではあるが、トレイシー役のクリステン・スチュワートが非常に可愛かった。映画公開時は16,7歳くらいであっただろうか。今のようなケバケバした化粧ではなく、すっぴんに近いメイクの方がよっぽど可愛い。

エディ・ヴェダー書き下ろした曲も映画の雰囲気に合っており、いい味を出していたように思う。

二時間を越えるスローテンポな映画であるが、退屈に感じることもなく、自然に引き込まれ心地よく観れた。繰り返し観たくなる良作であることは間違いないだろう。

 

『ロッキー』

『ロッキー』

1976年のアメリカ映画。監督はジョン・G・アヴィルドセン。

脚本・主演はシヴェルスター・スタローン。

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主人公ロッキーの人物像を描き出す導入部が非常に素晴らしい。当時、隆盛を極めたアメリカン・ニューシネマの影響からか全体的に暗いスタートであるが、ここで僕は心を掴まれた。社会からはみ出しても、はみ出し切れないロッキーの寂しい生活は涙を誘う。

ロッキーは30歳の落ち目のボクサー。ボクシングの賞金だけでは食べていけないためにヤクザの集金の手伝いをしているものの、優しい性格から借金滞納者からナメられヤクザからもそれを詰られる。友人と呼べる者も特におらず、ペット・ショップ店員のエイドリアンに想いを寄せているが、不器用で学もないために彼女を振り向かせる気のきいた一言も言えない。ぼろアパートに帰ると彼を待っているのはペットの亀が二匹。

この孤独なボクサー"ロッキー"は、まさに当時全く無名で貧困からポルノ映画出演やボディーガードで生計を立ていた30歳のスタローン自身である。そのため、この辺のスタローンの演技は妙にリアルで哀愁漂っている。

まさに「どん底負け犬人生」。ただ彼はそれで誰かに責任転嫁したり、成功しているものを皮肉ったりしない。(ミッキーが彼のアパートを訪ねたときには感情が爆発するが...)。自分の気持ちに嘘ついてそんな人生に無理矢理納得しようとせず蹴りをつけようとする姿に僕のみならず多くの男性は心打たれるのではないだろうか。

運命のいたずらで世界ヘビー級チャンピオンと試合をすることになるが、相手が世界チャンピオンだとか試合の勝敗は、彼の試合前後の様子からも分かるように、重要なことではない。

なぜなら、彼は名声や富のために闘うのではなく、自らの"ダサい人生"に蹴りをつけるために闘うのだから。